1969年,日本,84分
監督:増村保造
原作:江戸川乱歩
脚本:白坂依志夫
撮影:小林節雄
音楽:間野重雄
出演:緑魔子、船越英二、千石規子

 自分がモデルとなった彫刻を見るため画廊に足を運んだアキはそこでその彫刻をなでまわす一人の盲人に出くわした。それを見たアキは不気味な感じを覚えた。数日後、マッサージ師を呼んだアキは突然麻酔薬をかがされ、目や鼻や乳房の不気味なオブジェが並ぶ大きな部屋に閉じ込められ、そこにあの盲人が現れた。
 江戸川乱歩の原作に、圧倒的な迫力のセット。とにかく妖艶にして不気味な世界がそこにある。しかしそれはただ気持ち悪いのではなく、なんともいえない魅力を放つ世界でもあるのだ。

 まず最初の印象は、異常なほどに芝居じみているということだ。アキが閉じ込められることになるアトリエもそうだし、3人の俳優たちの演技もそうだ。とにかくすべてが大げさで非現実的、それがこの映画の第一印象だった。

 しかし、その非現実的なところというのは物語が進むにつれて気にならなくなっていく。アキはその部屋から逃げ出そうと試みるが、それが難しいとわかると今度は男をたぶらかして母親と反目させ、状況を変えようともくろむ。その手練手管は非常に現実的だし、アキと母親の対決にはリアルなドラマがある。

 それでもやはり目を引くのは船越英二の異常さだ。その異常さは観ているものに恐怖心を抱かせる。これが目を引くのは、その異常さだけが実はこの非現実的な物語の中で現実的なものだからなのかもしれない。

 物語を追っていくと「こんなことはありえない」と思うけれど、なんとなく「ありうるかもしれない」と思わされてしまう瞬間がある。自分をアキの立場においてみたとき、こういうことがもしかしたらあるかもしれないと考えると心の底からいい知れない恐怖が湧き上がってくる。

 そして、船越英二の不気味さと緑魔子の妖艶さがせめぎあいながら映画はずんずん進んでいき、最初に感じた違和感のようなものはどんどん薄れて映画に引き込まれていく。

 終盤はもう怖いというか、神経に障ってくる。心臓の弱い人は見ないほうがいいんじゃないかっていうくらいにきつい。実際にグロテスクな場面があるわけではないんだけれど、グロテスクなものに弱い人にはかなりつらいと思う。

 しかも、この結末に至る心理というのがもうまったく理解できない。これはもう異常としかいいようがなく、正常な神経で理解することは不可能なんじゃないかと思う。しかし、同時にこの異常さというのは社会的認知されている異常さでもあるとも思える。具体的に言ってしまうとSM的な性倒錯で、ここまで極端なものはさすがに拒絶反応を起こしてしまうけれど、そういう性向の存在自体は広く認知されている。

 そのようなものを60年代にストレートに映画に描いたこの作品はやはり今見ても面白い。まったく古さを感じないしファンキーだ。やっぱりすごいな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です