1960年,日本,105分
監督:市川崑
原作:山崎豊子
脚本:和田夏十、市川崑
撮影:宮川一夫
音楽:芥川也寸志
出演:市川雷蔵、若尾文子、中村玉緒、草笛光子、山田五十鈴、船越英二、京マチ子

 隠居暮らしの喜久治は腹違いの息子達のことを客に聞かれ、思い出話をはじめる。話の始まりは昭和の初め、喜久治が大阪は船場の足袋問屋のボンボンだった頃に遡る。当時はいいように放蕩を続けていた喜久治だったが、家の中で発言力を持つ母と祖母の勧めに従って結婚することにした。しかし、しきたりや世間体ばかりにこだわる母と祖母はそう簡単に嫁の弘子を受け入れはせず…
 市川崑に宮川一夫、市川雷蔵と当時脂の乗り切っていた人材が集まって作られた、ちょっと時代がかった題材をモダンな感じで撮った秀作。

 宮川一夫がカメラを持つと、どんな映画でもいい映画になってしまうのだろうか? 宮川一夫らしさというものが特段何かあるわけではないけれど、「いいな」と思ってスタッフを見ると、宮川一夫の名前があることが50年代、60年代の映画には多い。この映画でも映像の素晴らしさには感心するしかなく、昔の話が始まった冒頭の数シーンを見るだけで、それが自然で滑らかでありながらどの瞬間を切り取っても美しいことに気付く。その映像にどんな特徴があるとかいうことを説明できないのがつらいのですが、なんとなくのイメージとしては上からの視線が多く、色彩が鮮やかで、動きのある画面が多い。という感じでしょうか。あとは意外な視線から物を眺めることも多いかもしれません。この映画の冒頭で記憶に残っているのは、母と祖母の2人が足早に廊下を歩く足袋のアップと舟がフレームを横切るところを真上から撮ったところ。ともに日常的ではない視点で撮られているということがあるので、そう考えると、意外な視点というのも特徴のひとつなのかもしれません。
 まあしかし、宮川一夫が名カメラマンであるということはすでに定説となっているようなので私がことさらに言うまでもないかもしれません。そういうすごいカメラマンがいたんだよ。ということです。見たことない方はぜひ一度見てみてくださいな。
 映像の話が長くなってしまいましたが、ほかにこの映画で気に入ったところといえば、喜久治の人間性でしょうか。「ぼんち」という言葉の意味はいまひとつ分かりませんが、確かにボンボンではあるけど、ただの穀つぶしの放蕩息子ではないということでしょうか。とにかく、この喜久治という人のやさしさと自然に出てくる改革精神(というと大げさですが)は素晴らしいですね。こういう人になりたい、というと御幣があるかもしれませんが、こういう心のもちようで暮らしたい、と思った次第であります。

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