Il Grido
1957年,イタリア,102分
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ、エリオ・バルトリーニ、エンニオ・デ・コンチーニ
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツィオ
音楽:ジョヴァンニ・フスコ
出演:スティーヴ・コクラン、アリダ・ヴァリ、ドリアン・グレイ

 イタリアで暮らすイルマのもとに夫が死んだという知らせが届く。イルマはアルドとアルドとの間の娘ロジナと3人で暮らしていた。夫の死を機にアルドは結婚しようというが、イルマは別の男性に心惹かれており、アルドに別れを告げ、家を出てしまう…
 イタリアの巨匠アントニオーニの初期の名作のひとつ。淡々と進む物語と鋭く洗練された映像はまさにアントニオーニらしい。

 アントニオーニの物語は決してまとまらない。この映画もぶつりと切れて終わる断片が時間軸にそって並んでいるだけで、それが一つの物語として完結しはしない。そしてそれぞれの断片も何かが解決するわけではない。その独特のリズムには、ある種の不安感/いらだちを覚えるものの、同時にある種の心地よさも覚える。この物語に反抗するかのような姿勢が1950年代(つまりヌーヴェルヴァーグ以前)に顕れていたというのは、映画史的にいえばイタリアのネオリアリスモがヌーヴェルヴァーグと並んで重要であるということの証明なのだろうけれど、純粋に映画を見るならばそんな名称などはどうでもよく、ここにもいわゆる現在の映画の起源があったことを喜びとともに発見するのみだ。アントニオーニはやっぱりすごいな。
 さて、この映画でもうひとつ気になったのは「水辺」ということ。アルドが出かける土地はどこも水辺の土地で、必ず水辺の風景が登場する。これが物語に関係したりはもちろんしないのだけれど、それだけ反復されるとそこになんらかの「意味」を読み取ろうとしてしまう。本来はアルドがあてもなくさすらってたどり着いたという共通点しかないはずの土地土地が「水辺」という全く別の要素で結びついていることの意味。それはやはりアルドの心理的な何かと結びついているのだろうか? 分かれる直前にイルマがじっとみつめていた水面に映っていた何かを求めて水辺にたどり着いてしまうのだろうか? 映画はそんな疑問も解決することなくぶつりと終わる。それはまるでその「意味」を語ることを拒否しているように見える。
 反「物語」そして反「意味」。すべてに反抗することこそがアントニオーニの映画だということなのだろうか?

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