The Spring
1985年,イラン,86分
監督:アボルファズル・ジャリリ
脚本:アボルファズル・ジャリリ
撮影:メヒディ・ヘサビ
音楽:モハマド=レザ・アリゴリ
出演:メヒディ・アサディ、ヘダヤトラ・ナビド

 イラン・イラク戦争が激しさを増す中、老人シナが一人暮らす森の小屋へ連れられてきた一人の少年ハメド。両親から一人離れ、疎開生活をする彼はなかなか森とシナになじむことができない。それでもシナはハメドを温かく見守り、彼につらい思いをさせないように勤めるのだが…
 「ぼくは歩いていく」などのジャリリ監督の長編デビュー作。イラン・イラク戦争というモチーフも、北部の寒い土地という設定もいわゆるイラン映画とは異なる趣き。

 夜の森でシナが聞いたという音。その場面でかぶせられた音はいろいろな音が交じり合い、その後の昼間ハメドが「同じ音を聞いた」という音。それは夜の場面とは明らかに違う音。しかしどちらも複雑に混ざり合い、しかも大きく増長された音。ハメドが聞いたという音は列車の音。しかしそこに混じるいろいろな音。
 ほかにもキツツキの音やラジオなど、「音」が非常に強調された映画である。その描き方にはいろいろな理由付けが考えられるだろう。ジェット機や爆撃といった音と悲劇を結び合わせるハメドの心の反映。主に音を頼りにして森の生活を送るシナの鋭敏さの表現。
 どちらにしても増長された音の表現は彼らの音に対する敏感さを表すのだろう。われわれが日常聞いている音の中に埋もれたさまざまな音をも聞きだす鋭敏な耳。その独特な表現にこの間得な非凡なところを感じるけれど、その表現によって意味されるものを感じ取るのはなかなか難しい。なかなか交わることのできない二人の心。あるいは共通の過去の痛みか…
 ところで、この映画の風景はイランらしくない。やたらと雨が降り、しかも寒そう。砂っぽい砂漠やキシュ島みたいな南の島のイランとは違うイラン。こんなイランもあるんだ、という感じ。
 もうひとつところで、イランには傘がないのだろうか? こんなに雨が振っているのに誰も傘を差していない。「サイクリスト」でも雨が降ってきても、みんな傘をささず、なぜかビニール袋をかぶっていたりする。あまり雨が降らいというなら、傘を差さないというのも理解できるけれど、結構雨が降っているのに傘がないのはなぜ? と思ってしまいます。余談でした。

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