La Classe de Neige
1998年,フランス,96分
監督:クロード・ミレール
原作:エマニュエル・カレール
脚本:エマニュエル・カレール、クロード・ミレール
撮影:ギョーム・シュフマン
音楽:アンリ・テシエ
出演:クレモン・ヴァン・デン・ベルグ、フランソワ・ロイ、ロックマン・ナルカカン

 寝てもさめても悪夢ばかりを見る小学生のニコラはスキー教室に参加することになった。しかし、両親が数日前におこったバス事故を気にして、ニコラはバスではなく父親の車で合宿場所まで行くことにした。みんなから少し送れて合宿場所に着いたニコラは父親が帰ってしまった後荷物を車に積んだまま忘れてしまったことに気づく…
 不思議なモチーフでスリラーの雰囲気を持つドラマだが、基本的には少年ニコラの内的世界を描いたものなのか。

 ニコラの悪夢や想像と現実との境目をあいまいなものにするやり方はなかなかうまいと思う。これはニコラの主観からすべてを描いた映画であるといえ、だからこそ現実とそれ以外との境界がないということだろう。今見ているものが現実なのか、悪夢なのか、想像なのかということはそれを見ている時点で判断できるものではなく、あくまで時間が経過してから始めて判断できるものである。しかし、それはあくまで相対的なもので、あるひとつのつながりを現実と判断することでそれ以外は現実ではないと判断するしかないわけだ。
 この映画は基本的には現実とそれ以外というものを分けて描く。それは最初の父兄への説明会の場面と最後のホドゥカン一人の場面というニコラの主観ではない場面の存在によって固定されている。しかし、それ以外の場面が(多分)すべてニコラの視点から描かれていることを考えると、これら場面もニコラの見ている場面であると考えることもできる。それはつまりこの映画の文脈からいうとニコラの想像ということになる。両方があるいは少なくともどちらか一方が。
 そう考えると、どんどんわけがわからなくなっていく。合宿場所へと向かうニコラが車の中で寝入ってしまったことを考えると、それ以降は全部現実ではないのかもしれないと思えたりする。
 どれが現実で、どれが想像か。さらりと見ただけだと、一つの当たり前の解釈が成り立つようだけれど、果たして本当にそれでいいのかということはわからない。「もしかしたら」と考える可能性。それがこの映画のいいところだと思います。

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