Dar Experiment
2001年,ドイツ,119分
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
脚本:ドン・ボーリンガー、クリストフ・ダルンスタット、マリオ・ジョルダーノ
撮影:ライナー・クルスマン
音楽:アレクサンダー・フォン・ブーベンハイム
出演:モーリッツ・ブライブロロイ、クリスチャン・ベルケル、オリヴァー・ストコウスキ

 タクシー運転手のタレクは「被験者求む」という広告を見つけ、それに応募する。その実験は集まった被験者たちを囚人役と看守役に分け、それによる精神の変化を見ようという実験だった。その実験が行われる直前、タレクは美しい女性に車をぶつけられ、そのまま一夜を過ごすという不思議な体験をする…
 過去に実際に行われ、被験者たちへの精神的影響があまりに大きく、途中で中止されてしまった。現在は心理上の問題もあり、全面的に禁止されている。この映画は実際に行われた実験をもとにして作られている。

 怖すぎます。
 この恐怖はどこから来るのでしょう。それはあまりに起こりえる出来事だから。簡単に想像できる恐怖だから。簡単に想像はできるけれど、同時にその恐怖に耐えられないことも容易に想像できる恐怖だから。
 この映画は実験を行う側についても描かれ、恋愛の話なども挟まれ、ちょっとこねたプロットになっているのだけれど、そんなことはどうでも良く、とにかく実験の中身、行われている実験のほうにしか興味は行かないし、それだけで十分であるともいえる。
 言葉にしてしまうと月並みになってしまうけれど、普通の人がいかに攻撃的に、あるいは暴力的になりうるのか、自制心を、良心を失うことができるのか。その変化は劇的なようでいて、意外に簡単なものである。結局はそういうことだ。この映画はもちろんそういうことを示唆するし、そこから考えるべきことも多く、恐怖の源もここにある。
 しかし、わたしはこの映画が成功している最大の秘密は具体的な恐怖の作り方にあると思う。ホラー映画の基本は観客に「来るぞ、来るぞ」と思わせておきながら、それでも予想もしない瞬間に観客を襲うという方法。その盛り上げ方が周到で、その遅い方が意外であるほど、観客を襲う恐怖も大きい。この映画はそんなホラー映画の文法をしっかりと守る。観客が頭の中で恐怖心を作り出せるように周到なプロットを練り、それを意外なところで爆発させる。

 なんだろう、映画の途中で囚人役の一人が「ナチス!」と口走るように、この心理作用はあらゆる集団操作に使われているし、この後も使われる危険はある。そのことを説得的に語るのではなく、純粋な恐怖として語るというのは作戦としてすごい。見ている間は完全な娯楽作品というか、サスペンスとしてみることができるけれど、見終わって「アー、怖かった」と振り返ってみると、また現実における恐怖がわきあがってくる。そういう意味では一度で二度怖いという言い方もできる。
 ファシズムには負けないぞ!

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