The Legend of Bagger Vance
2000年,アメリカ,125分
監督:ロバート・レッドフォード
原作:スティーヴン・プレスフィールド
脚本:ジェレミー・レヴェン
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ウィル・スミス、マット・デイモン、シャーリーズ・セロン、ジャック・レモン

 ゴルフ場で倒れた老人が、回想する昔話。
 南部の町サバナ一のゴルファーといわれていた青年ジュナは第一次世界大戦に参戦し、戦場で受けたショックからゴルフをやめてしまった。一方、ジュナの元恋人アデールは不況のあおりを受けて父親の残したゴルフ場が危機にさらされる。そこで、彼女は名ゴルファー二人のエキシビジョンマッチを企画するが、何故かそこにジュナが出場することになってしまい…
 レッドフォードが古きよきアメリカを描いたヒューマンドラマ。

 ノスタルジックな感じですね、つまり。グッド・オールド・デイズというやつですね。しかも南部というと、特にそんなイメージがつきまといますね。それが悪いというわけではないですが、あまり目新しさはないですね。しかも、そのノスタルジックな世界はおそらく現実とは違っていて、それはノスタルジーだから当たり前ではあるんだけれど、現実の姿よりも美しく描かれているに違いない。不況だといっているのにみんなこぎれいな格好をしているのもどうも気になるし、そもそも第二次大戦前の南部で黒人と白人があんなに対等な立場でいられたものかと考えるとかなりの疑問が生じてくる。
 しかも、映画のテーマも物語の展開もさして面白くはない。それでもなんとなく見させてしまうのは、映像の(月並みな)美しさと映画空間の閉鎖性だろう。主に自然の風景を映す映像の美しさというのはレッドフォードの得意技という感じで、『リバーランズ・スルー・イット』とかわんねぇジャン!という気もするけれど、それはそれでいいのでしょう。

 映画空間の閉鎖性というのは、この映画が外に広がっていく映画ではなくてあくまで映画の内部で閉じているということ。物理的にも、サバナという町から出ることはなく、登場する人々も少数の外から来る人意外はサバナの人々。
そして、そのサバナの町というのが映画のとしても前面に押し出されている。そして、物語的にもこの映画のはじめから終わりまでで完全に物語りは閉じていて、他に広がりようがない。バガー・ヴァンスは誰なんだ?とか、ジュナはどうなったんだ?とか、後日談のようなものは作れても、概念的な広がりを持つということはありえない。
 それは、否定的に見ればテーマ的な貧しさというか薄っぺらさととることもできるけれど、このようなすべてがイメージでできている映画においては、そのイメージがイメージとしてとどまれる範囲内で映画を作ってしまったほうがいい。この映画を素直に見ると、その見た人は自らをサバナという場に、そしてこの時代に置き、この映画で語られている時間だけを生きる。その閉鎖空間から出るきっかけを与えてしまうと、その空間が現実とあまりにかけ離れてしまうことに気がついてしまうから、その閉鎖空間を作り上げるイメージでがんじがらめにしてそこから逃がさない。しかも物語としても閉じているから、映画を見終わった後でも、別世界の出来事として現実から突き放して簡単に処理することができる。

 ちょっと、わかりにくいですかね。簡単に言ってしまえば、簡単に入り込めるし、映画を見ていてつまらないことはないけれど、終わってみれば何も残らず、3日か1週間か経ったら映画を見たことすら忘れてしまうような映画ということです。
 しかし、気をつけなければいけないのは、そのイメージはなんとなく残っていて、意識しないままにそのイメージを受け入れてしまうかもしれないということ。つまり、この映画が「おかしい」ということ(つまらないというのではなくておかしいということ)に気付く目を失わないように気をつけなければならないということ。だと思います。

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