1948年,日本,94分
監督:伊藤大輔
原作:北条秀司
脚本:伊藤大輔
撮影:石本秀雄
音楽:西悟郎
出演:坂東妻三郎、水戸光子、三條美紀、小杉勇、斎藤達雄、滝沢修

関西で素人名人として名の通った坂田三吉は今日もいそいそと将棋大会に出かけた。次々とプロ棋士を倒して賞品をもらい、賞金をもらい、新進気鋭の関根七段と対戦ことに… 一方三吉の将棋道楽に苦しめられ、チンドン屋でビラをまいて帰ってきた妻の小春は三吉が仏壇をうっぱらって将棋大会の参加費を捻出したことを知り、家出を決意する…

明治から大正に実在した関西の棋士坂田三吉をモデルにした北条秀司の戯曲を伊藤大輔が映画化した作品。伊藤大輔はこの「王将」を3度にわたり映画化しており、これがその1回目。

やはり阪妻。私は若くてかっこいい阪妻より、40代くらいの味のある阪妻のほうが好き。だれっとたれ目になる笑顔、くっとよる皺、などなど。これくらいの年になってやっと味が出てきたという感じでしょうか。その点ではおそらく田村正和も同じで、若いころも確かに男前でよかったのですが、やはり年をとってからのほうが味があってよろしい。そう考えると、阪妻が50歳そこそこでなくなってしまったのは残念という以外に言葉はありません。

この映画の阪妻で一番いいと思ったのは首の振り。といっても何のことかは判らないと思いますが、阪妻がよく首を振る。いわゆる歌舞伎的な動きという感じで頭を左右に振ったりする動きがありますが、そんなようなものだと考えてください。とはいえ、それを大げさにやるわけではなく、動作の一貫としてふっと自然にやる。くくくくくっと首を振る。日常には普通ありえない動作のようでありながら阪妻がやると非常に自然で、とても絵になる。その首振りにはっと目が留まりました。よくよく思い出してみると他の作品でもやっていたような気もします。

こういう役者さんの癖というか味というか特徴というのは非常に重要な気がします。時には役柄にかかわらず出てくる特徴であったり、時にはその特徴があるためにいつもとは違う役柄をやるとなんだかピンとこなかったり、その特徴を逆手にとってある効果を生んだり。それは癖ではなくてなんとなくのイメージ姿かたちのパターンでもいい。例を上げようと思ったんですが、ちょっと思い出せません。田中絹代のほつれ毛…? ロビン・ウィリアムスはうれしいときにサイドステップを踏む?

まあ、いいか。とにかく阪妻は首の振りということです。田村正和なら眉間に皺。勝新なら着流し…

この映画はなんだか前半のほうが面白かった。前半の三吉が素人名人として破天荒にやっているところは面白い。将棋版に張り付くようにして将棋を打つ姿もすごく絵になる。ドラマとしても妻と子と近所の人たちと、親密な空間があって、とてもいい感じ。みていて「こりゃ名作だ」と思いました。

しかし、後半に入ると、ネタばれ防止のために詳しくはいえませんが、なんだか普通の話になってしまっている。映画の画面上の空間の密度が薄まってしまったというか、映画から密度が伝わってこない。私の個人的な気持ちとしては前半の話を引き伸ばして引き伸ばして、後半の話は最後の10分くらいでばたばたばたとやっちまってもよかったんじゃないかと思います。それくらい前半部分(ちょうど真ん中あたりでインタータイトルが入る前まで)はよかったのでした。

ところで、伊藤大輔(日本の黄金期を支えた映画監督のひとり。職人っぽい扱いをされてきたが、近年見直しが進む。阪妻作品を5本、他に『鞍馬天狗』『丹下左善』『大江戸5人男』など)は「王将」を3度も映画化しています。1度目がこの『王将』、2度目は55年に辰巳柳太郎と田中絹代で『王将一代』を、3度目は62年に三国連太郎と淡島千景で『王将』を撮っている。伊藤大輔が好きだったというよりは、この物語が受けたというのが大きいのではないかと思います。3度目の62年には映画にも出演した村田英雄が歌う『王将』が大ヒットというのもあります。

それにしても同じ監督が同じ題材で3度も映画を作るというのはかなり珍しい。ちょっと見比べてみたい気もします。

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