安娜瑪徳蓮娜
1998年,香港=日本,97分
監督:ハイ・チョンマン
脚本:アイヴィ・ホー
撮影:ピーター・パオ
音楽:チュー・ツァンヘイ
出演:金城武、ケリー・チャン、アーロン・クォック、レスリー・チャン、アニタ・ユン、ジャッキー・チュン、エリック・ツァン

ピアノの調律師のチャン・ガーフは調律に行った先の家で小説家を名乗る謎の男モッヤンに出会う。モッヤンは居候していた女の家を飛び出し、ガーフの家に転がり込んでふたりの共同生活が始まる。その共同生活も落ち着きを見せてきたころ、ガーフのアパートの上の階にモク・マンイーという女性が引っ越してくる。モクに弾かれるガーフ、衝突するモクとモッヤン…

日本でも名前が売れていた金城武とケリー・チャンを主役に起用して香港との合作で恋愛映画を撮るという一見売れ線狙いの映画ながら、映画としてのできは非情に地味で、通好みの映画という感じになっている。レスリー・チャンやアニタ・ユンなど脇役人も豪華。

映画の題名は映画の中でも言及されているようにバッハの奥さんの名前から来ている。そしてその奥さんのために書いた「メヌエット」が映画を通して鳴るひとつの響きとしてある。この「メヌエット」はピアノでもバイオリンでも楽器を習ったことがある人なら一度は弾いたことがある曲、なので体にすっと入ってくる感じがする。

映画の構成も第1楽章から第4楽章となっていて、クラッシク音楽の構成によっている。メヌエットが果たして4楽章構成なのかは知りませんが、とにかくこの映画は音楽になぞらえられているということは確か。

しかし、別に映画が音楽的というわけではなく、そういう構成になっているというだけの話。だから実際のところ、この映画は『アンナ・マデリーナ』である必要はなく、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』でもよかったのかもしれない。

この映画でいい部分というのは実際のところ第4楽章の「変奏曲」の部分だけだといってもいい。第3楽章までは長いプロローグというのか、劇中劇を語るための舞台設定といっていいのか、すべてがこの第4楽章を語るための序章であるといっていいと思う。

ポイントはやはりモク・マンイー、それは第3楽章までのモク・マンイーではなく、あくまでガーフの物語の中でのモク・マンイー。映画を見ていない人には何のことやらさっぱりわからないとは思いますが、それでいいんです。見た人にしかわからない、見ていない人に語ってしまうのはもったいない。そんな映画があってもいい。

おそらく、この映画見て何も感じない人もいるでしょう。むしろ感じない人のほうが多いのかもしれない。あるいは感じたとしてもそれを表面化させない人もいるかもしれない。このモク・マンイーが心の琴線に触れる人はおそらくどこかナイーブな心を持っていて、しかもそれでいいと思っている人のような気がします。それをこの映画ではモク・マンイーのいる人といっているわけですが…

映画を作るものにはそのような感性は必要だとは思いますが、果たしてそれをストレートに映画にこめてしまっていいのか、という疑問が湧かないわけではありません。共感したり、理解したりできる人ならいいんですが、共感できない人には共感できない、感情の押し付けということもできるような作品でもある。ということは確かです。

なので、人に勧めることはできませんが、自分の心のナイーブさに何か肯定的なものを感じている人は見るといいかもしれません。

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