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トーキョー×エロティカ

2003/2/15
2001年,日本,77分

監督
瀬々敬久
脚本
瀬々敬久
撮影
斉藤幸一
音楽
安川午朗
出演
佐々木ユメカ
佐々木真由子
えり
石川裕一
下元史朗
preview
 1995年、ケンジはトンネルの中で毒ガスの被害にあって死んでしまう。そのとき、以前付き合っていたハルカのことを思い出した。そのハルカは1997年、街で体を売るようになっており、ウサギの着ぐるみを着たサンドイッチマンの男とホテルに入る。1989年、バンド仲間のカップル同士が互いの恋人を裏切って性関係に及ぶ…
 一般映画にも進出し、高い評価を得ている瀬々敬久がホームフィールドであるピンク映画のコンテストP-1グランプリでグランプリを獲得した作品。サリン事件などの不条理な事件を題材にし、性と生の関係を描こうとした意欲作。
review
 映像が全体的に安っぽいのはピンク映画なので仕方がないわけで、つくりが安っぽくたって面白い映画はあるのだから、それ自体はマイナスになりはしないはずです。しかし、この映画の安っぽさはそのことによって映画としての面白さを損なってしまっている。安っぽいつくり、特に役者の演技の下手さが観客の映画への没入を妨げ、これがあくまでもピンク映画でしかない(私としてはピンク映画だからといって差別するつもりはないのですが、この映画はピンク映画でしかないという形でピンク映画を貶めざるを得ないような映画としてある)ということが、常に思い出されてしまいます。
 そして、セックス・シーンの長さも、ピンク映画なら当たり前なのだけれど、不必要に長いように感じられてしまう。にもかかわらず、全体として果たしてピンク映画として、つまり男性の性欲を刺激するための映画として機能しているのかということを考えると疑問符がついてしまう。ピンク映画としては革新的だったのかもしれないけれど、それによってピンク映画としても一般映画としても中途半端になってしまったということはないのだろうか? そもそもピンク映画の評価とは、一般映画とは異なるものなのか? P-1グランプリとはピンク映画として優れた映画を選ぶものなのか、それともピンク映画だけれど、一般的に映画としていいものを選ぶものなのか、そのあたりは判然とせず、したがってこの映画の評価も今ひとつわからない。

 瀬々監督の作品からあふれ出るエネルギーのようなものが、ピンク映画の経験から生まれるものであることはわかる。しかし、だからといってピンク映画がそのまま一般映画として通用するかどうかということには疑問が残る。それは映画が産業として、ある程度絞られた観客層を想定したものであることにもかかわってくるが、一般映画をとるときに想定する観客とピンク映画を撮るときに想定する観客は異なるのだから、その方法論もおのずと異なってくる。
 もちろん、その中でも神代辰巳のいくつかの作品のようにピンク映画の枠を越えて、一般映画としても十分に通用する作品もある。周防正行や黒沢清のように、ピンク映画の枠を崩してピンク映画とも一般映画ともつかぬ不思議な力のある作品を取る人もいる。
 しかし、この作品はそのような一般映画としても通用するものではなく、あくまでもピンク映画というジャンルの中で優れた作品であり、革新的な作品であるにとどまっていると思う。もし同じテーマで一般映画として映画をとっていたならばきっともっと面白い映画になっていただろうし、それは彼のピンク映画の経験が生きることだろう。なぜならば、ピンク映画とは押しなべて一般映画よりも「生」というものに肉薄した映画であるからだ。「性」を描こうとするとき、人は必ず「生」の問題に突き当たってしまう。だから、ピンク映画を撮っていた監督は映画の中で「生」というものに肉薄することができる。そのような監督のほうが、サリン事件のようなまさに「生」にかかわる題材を描くのはうまいのではないか、そのように思うからだ。

 このような映画がピンク映画の中で生まれているということも確かに面白いけれど、私としては同じテーマを一般映画としてとったものを見たいと思った。ピンク映画を経験して、いま巨匠といわれるまでになった人も数多い。だから、私はこの瀬々監督に期待してきたし、これからも期待していきたい。
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本90年代以降

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