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戯夢人生

2003/11/18
戯夢人生
1993年,台湾,143分

監督
ホー・シャオシェン(候孝賢)
脚本
ウー・ニェンツェン(呉念眞)
チュー・ディエンウェン(朱天文)
撮影
リー・ピンピン(李屏賓)
音楽
チェン・ミンジャン(陳明章)
ジャン・ホンター
出演
リー・ティエンルー(李天祿)
リン・チャン(林強)
ウェイ・シャオホイ
preview
 物語は伝説的な人形遣いであるリー・ティエンルーのひとり語りによる自伝的物語によって進んでいく。リーは日本占領下の台北に生まれ、幼いうちに母がなくなり、継母とそりが合わず、まだ小さいころに人形劇の劇団で働くようになった。才能を認められたティエンルーは別の劇団に引き抜かれ、そこで花形となっていく。しかし時は太平洋戦争真っ盛り、それほど生きやすい世の中ではなかった…
 候孝賢が自らの映画に起用してきた李天祿の人生を映画にした。李天祿自身ののひとり語りのシーンと、ドラマによる物語のシーンとで構成される。その物語の部分で展開される実際の人形劇が映画のアクセントとなって映画にメリハリが生まれて面白い。
review
 本当に映画らしい映画だと思う。それは決して劇ではなく、映画なのだ。一番映画を感じたのは天祿が日本兵と喧嘩をするシーンだ。天祿が喧嘩っ早いという伏線が張ってあるのも感心するが、何といってもすばらしいのはその喧嘩を一貫してロングショットの固定カメラで捉えることだ。殴り合いの喧嘩を映しながら、決してそこには近づかず、喧嘩をしているアクションも遠巻きに見えるだけで、表情など全く見えない。そして決着がつくことのないままカットは飛び、喧嘩の後始末のシーンへと移る。この控えめというか、アンチクライマックスというか、淡々としているところに映画は匂ってくるのだ。あそこで、喧嘩しているふたりにカメラがよっていって、殴りあうこぶしや歯を食いしばる表情をクロースアップで撮ってしまったら映画は台無しになってしまう。それをわかってそんな演出をする候孝賢はやはり本当の映画作家だと思う。
 このシーンに限らず、この映画では「見せない」技法が非常に効果的に使われている。「見せない」という点で非常に印象深かったのは、天祿が麗珠と出会うシーンである。天祿は結婚後単身赴いた台中で麗珠と出会うのだが、そのいきさつは劇場の前で、切符を買う友達を待つ麗珠に天祿がタバコを口実にして声をかけるというというものなのだが、そのシーンは俳優によって演じられるドラマではなく、ひとり語りによって語られるのだ。このシーンはこの映画の中でも最もロマンティックなシーンの1つであり、再現劇にすることによってそのロマンティックさがなおいっそう盛り上がりそうなものなのだけれど、それをドラマにするのではなく、老人自身の言葉によって淡々と語らせる。その「見せない」ことに映画を感じる。見せないことによって観客の想像力を刺激して、頭の中でロマンティックなシーンが浮かべられる。それは俳優によって演じられる作り物のシーンよりもはるかにロマンティックなものになっているだろう。そうさせるのは老人の語り口であり、そこにまた映画が匂いたつのである(ただ、そのシーンをあまりにロマンティックに想像してしまった結果、次のシーンで登場する麗珠の姿形が想像とかけ離れてがっかりしてしまう向きもあるかもしれない)。

 このようにして、非常に映画らしい映画としてこの映画はわれわれの前に現れ、映画的な面白み、映画らしい美しさをわれわれに存分に見せてくれるわけだが、私は日本人として少々居心地の悪い思いをせざるを得ない。これは太平洋戦争の時期を扱った映画であり、そこには日本が関係してこざるを得ない。そこでたち現れてくる日本は、きっと強欲で、差別的で、ひどい人間たちなのだろうとあらかじめ想像し、それですでに居心地の悪い思いをしてしまう。
 しかし、この映画に登場する日本人は必ずしもそんな「悪い」日本人ばかりではない。むしろ「いい」日本人のほうが多く登場するのだ。「いい」日本人が出てくることにも、何か居心地の悪い思いがするわけだが、そのどちらも居心地が悪いという感性を持ち続けることも重要なことなのだと思う。
 候孝賢はそんな日本人の気持ちを慮ってか(そんなことはないと思うが)、悪い日本人もいればいい日本人もいるということを示す。日本を弁護するわけではないが、日本人は悪い人ばかりではないという。おそらく天祿は日本人にそれほど悪い印象を持っていないのだろう。それが直にスクリーンに現れる。日本が負けたことにもよかったとも悪かったとも価値判断することはせず、あの戦争というのもひとつの「時代」に過ぎなかったのだとでも言いたげなのである。
 そこから察することができるのは、台湾の人たちの歴史の捉え方である。さまざまな勢力が現れては消え、さまざまな支配者がやってきては去ってゆく。そんな土地に生まれ生きた彼らは、ある意味では非常にグローバルなものの見方ができるのかもしれない。自分たちの歴史をどこか客観視して、「違い」を認めることができる。そんな台湾の人たちの懐の深さもこの映画からは垣間見ることができると思う。
Database参照
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