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衝動殺人 息子よ

2004/11/20
1979年,日本,131分

監督
木下恵介
原作
佐藤秀郎
脚本
砂田量爾
木下恵介
撮影
岡崎宏三
音楽
木下忠司
出演
若山富三郎
高峰秀子
田中健
大竹しのぶ
近藤正臣
尾藤イサオ
藤田まこと
吉永小百合
田村高広
中村玉緒
preview
 横浜で町工場を営む川瀬周三は息子に武志が順調に工場を取り仕切れるようになっていくのに満足し、武志がもらうことになったお嫁さんの杏子もいい娘さんだと言って喜んでいた。そんなある日、友人と釣堀に行くと言って出かけた武志が帰ってこない。武志は釣堀からの帰り道に見知らぬ男に突然指され、病院に運ばれていた…
 息子の死をきっかけとして被害者遺族保護運動に力を注ぐようになる一人の男とそれを支える妻を描いた物語。原作は佐藤秀郎の同名ノンフィクション小説。
review
 映画のテーマは非常に重い。この犯罪被害者の救済という問題は、現在でもまだ問題になっているもので、まもなく法律の改正が行われるはずだ。この映画で描かれるのはそもそも犯罪被害者救済のための法律がなかった時代。完全に「殺され損」の時代だった。
 まずこの映画を見て感じるのは日本の社会の不条理さだろう。自分の家族が殺され他という無念を晴らすために保証を求めると、「金が目的だ」と陰口をたたかれるような社会、そのような不条理さは今もまだ残っている。その原因は簡単に言ってしまえば他者への想像力の欠如だ。家族を失った喪失感が金に換えることができないなどということは少し考えればわかるはずなのに、その想像力を働かせることが出来ない。そのような想像力の貧困がこのような問題の根幹にあるのだと思うが、それを克服するのは容易なことではなく、国家や政治によってやることは不可能だ(そもそも政治家こそがそのような想像力を欠いた代表格のような気がする。そのような想像力を持っていたらとても政治家なんかにはなれない。政治家だってもちろん必要だから、そのような想像力を欠いた人も世の中には必要ということになるのだろうけど…)。
 そんな中で、いかに被害者の空虚さを生め、困窮から救っていくのか、というのが問題になるわけだ。これは同情とかそういう問題ではなく、平等の問題だと思う。すべての国民が平等な権利を持っているのだとしたら、殺されたことで受ける不利益は補填されるべきだ。本来なら殺した人がそれを負うべきなのだろうが、そんな余裕があったら人殺しなどするわけもなく、それを国家が肩代わりするのは当然のことだと思う。
 そんな当然のことが当然でなかった、そしてそのことを誰も気づいていなかった、そんな時代にそのことに気づき、そのことを気づかせ、平等を実現しようとした。そんな人の物語だ。

 しかし、見る人の心を打つのは、そんな仰々しい話ではなく、単純な家族の物語だ。息子を殺され、その無念を晴らすために奔走するというただそれだけの単純な物語、それが人の心を打つのだ。
 そのあたりの物語の組み立ては、「ハンカチもの」の巨匠木下恵介だけあってさすがにうまい。全国を走り回る旅路に息子との想い出を重ねあわせ、幸せな過去と、それを奪われた無念を相乗的に高めていく。木下恵介は全国を旅するというような話が好きなようだが、それは移動によって記憶が加速されるからだろう。人の記憶は場所と結びついていることが多い。旅をするということは、その記憶を掘り起こしていくということに等しいのだ。
 そして、その記憶を共有する夫婦の絆。なんと言ってもいいのは、息子が死んだことで絶望し涙に暮れつづけた夫が生きがいを見つけ、立ち直ったところで、奥さんのほうがそれまで我慢し続けてした涙を堰を切ったように流すシーンだ。その激しい嗚咽は、息子が死んだ瞬間に足にすがって泣いたその姿とあわせて、心を揺り動かされるシーンである。そこに見出される親子の愛と夫婦の絆、それをたった2つのシーンで見事に表現する高峰秀子はやはり見事だ。
 すでに「引退した気でいた」高峰秀子を3年ぶりに撮影に引っ張り出した木下恵介の面目躍如というところだろうか。
 70年代に高峰秀子が出演した作品は親友・有吉佐和子が原作者である『恍惚の人』、恩師・木下恵介に頼まれて出演した『スリランカの愛と別れ』とこの『衝動殺人 息子よ』、夫・松山善三の『ふたりのイーダ』の僅か4本である。
 役者が嫌いだという高峰秀子だから、この『衝動殺人 息子よ』が最後の出演作となってしまうのだろうけれど、とても残念だ。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本60~80年代

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