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タッチ・オブ・スパイス

2005/12/3
A Touch of Spice
2003年,ギリシャ,107分

監督
タソス・ブルメティス
脚本
タソス・ブルメティス
撮影
タキス・ゼルヴラコス
出演
ジョージ・コラフェイス
マルコス・オッセ
タソス・バンティス
バサク・コクルカヤ
イエロクリス・ミハイリディス
レニア・ルイジドゥ
preview
 2003年、アテネで天文学者をするファリスのもとに祖父が訪ねてくるという知らせが届く。ファニスは子供の頃住んでいたコンスタンチノープルで、祖父からスパイスと宇宙について学び、幸せな日々を送っていた。しかし、キプロスを巡ってギリシャとトルコとが対立、ギリシャ人であるファニスの一家は危うい立場に追い込まれていった…
 トルコとギリシャの関係に翻弄される一人の少年を描いたヒューマン・ドラマ。本国ギリシャでは大ヒットし、歴代2位の興行記録を打ち立てた。
review

 コンスタンチノープル/イスタンブールという街には複雑な歴史があり、それはギリシャとトルコにおいてもまた同じである。この映画でも問題にされているキプロスの問題は今もなお残ってしている。キプロスは独立国家だが、ヨーロッパとアジアに挟まれたこの島には、様々な民族が暮らし、その間には絶え間ない対立が存在する。それはギリシャとトルコ、あるいはヨーロッパとアジアの対立の縮図であり続けてきた。
 この映画はそのような問題が背景になっているわけだが、もちろんそんなことを知らなくてもわかる映画だし、政治的な事は実はあまり問題ではない。ギリシャでヒットした背景には政治的な部分も関わってくるのだろうけれど、そこには歴史がありながら今はそれほど豊かな国ではないということに対する被害者意識のようなものも働いているのではないかという気がする。自分たちの苦境を彼らの苦境に重ねあわせ、歴史の中に共感できるものを見つける。それによって何か現実が多少なりとも楽になる。そんなノスタルジーの働く余地がこの映画にはあるのだろう。

 ギリシャ人ではない、わたしたちがこの映画を見るとき、そこには何があるのか。そこにあるのは食べ物と料理である。コピーとしては「祖父と孫との交流を描いた感動物語」なんてことになるのだろうけれど、実際のところ祖父と孫は離れ離れで、交流する余地はなく、出てくるのは料理のことばかりである。それは、この映画の中心が、ファリスとその思い出の中のおじいちゃん(あるいはコンスタンティノープル)との関係にあるからだ。ファリスはおじいちゃんやコンスタンチノープルとスパイス、そして料理によってつながっている。おじいちゃんやサイメを忘れられないファリスは料理をすることによって、彼らとつながり続けようとする。だから彼は料理にのめりこむのだ。
 ただこの執心がおじいちゃんやサイメに対するものでは必ずしもなく、コンスタンティノープルという街に対するものであることが、映画の終盤のファリスの父の独白によって明らかになるのだが、ともかくファリスはおじいちゃん/サイメ/コンスタンティノープルとつながり続けるために、それはつまりいき続けるために料理に生きがいを求めるのだ。
 これ自体はたいした物語ではないといえばその通りで、女の子的なことに執着する男の子の悲劇というある種のパターンの域を出る事はない。しかし、この映画の全てを料理に結び付けて考える感が得方は非常に面白い。ファリスが料理に執着するというよりは、料理が全ての源であり、料理/食べ物から始めなければ何も始まらない、これはそんな物語であるのだ。
 考えてみれば本当に、人間は食べることから全てをはじめているのではないかと思う。医食同源ともいうけれど、そんな言葉がなくとも、食べることが人間の全ての源になっている事は明らかだ。毎日当たり前に食べる食事も実はわたしたちの体に深い影響を与えている。というよりは、むしろ毎日の食事の積み重ねこそが人生なのだ。
 人生とは食事をすることとそれに付随することである。と言った人は特にいないが、この映画に登場するギリシャ人たちを見ていると、ふとそんなことを思う。そして、そんな生き方に共感する。

 はっきり言って、映画としては対して面白くはないが、この映画のもつ強い香りはわたしたちに食べるということの素晴らしさを思い出させ、コンスタンティノープル/イスタンブールに対するノスタルジーにも似た憧れを覚えさせる。

Database参照
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監督順: 
国別・年順: ギリシャ

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