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ある映画監督の生涯 溝口健二の記録

2006/4/4
1975年,日本,150分

監督
新藤兼人
構成
新藤兼人
撮影
三宅善行
応援撮影
黒田清己
下田久
出演
田中絹代
木暮美千代
京マチ子
香川京子
若尾文子
山田五十鈴
中村鴈治郎
進藤英太郎
依田義賢
伊藤大輔
増村保造
宮川一夫
新藤兼人
preview
 昭和三十一年に亡くなった日本映画の巨匠溝口健二、脚本家などとしてその溝口と仕事をした経験もある新藤兼人が彼の生涯を掘り起こそうと、溝口作品に出演した役者や、製作を支えたスタッフに行ったインタビュー集。作品を紹介するよりは溝口健二という人物を私生活も含めて掘り下げて行く伝記的映画。
  今見ると、ここに登場し溝口を偲んでいる人々の中でも亡くなってしまった人が多くなり、この映画自体も貴重な資料となっている。
review

 映画は溝口健二の出生から、その現在の場所を確認するようにして始まる。インタータイトルが入り、風景が映り、新藤監督自身の無骨なナレーションが入る。溝口が日活向島に入るまでの事柄については、映画監督としてのキャリアと関係がない成果あまり語られないが、脚本家の成沢昌弘との立ち話の中で、姉の寿々と松平子爵との関係が話に出てきたり(成沢は実家の商売の関係で松平家に出入りしていたことから溝口の内弟子となった)、溝口が軽い気持ちで俳優になろうと日活に入ったら、助監督になってしまったという話が語られる。このあたりをもっと掘り下げたほうが、伝記映画としては面白くなるような気がするし、溝口作品で一貫して描かれる芸者や妾というものが姉の寿々のイメージから来ているのではないかということを考えると、映画監督としてのキャリアとも関係してくると思うのだが、新藤兼人はその部分はあまり取り上げようとしない。さらには、それに続く、初期の監督作品についても多くを語らない。これには、フィルム自体が残っていないし、資料も断片的なものだから、語りえないという理由もあるのだろうが、そのような伝聞資料は極力使わないというのがこの映画の意図であるというような気もする。
 そのような意味では、この映画は溝口健二の伝記映画であると同時に、あるいはある以前に、溝口と接した人々の思い出の記録であると言ったほうがいいのかもしれない。溝口と接した人々のインタビューによって溝口の人生を浮き彫りにして行くと言うよりは、溝口健二を接点としてつながる様々な人々の思い出を記録することを目的としているのではないかと思うのだ。だから、インタビュアーを務める新藤兼人は話があらぬ方向に進んでしまっても軌道修正したりせず、好きなように語らせる。溝口の人生を構成しなおす材料を求めて質問をするのではなく、溝口健二という人物が引き金となって湧き出てくる想い出を引き出そうとしているからだ。
 したがって、映画としてある程度散漫な印象になってしまうのは仕方がない。溝口のことを網羅的に知ろうと思ってこの映画を見るとなんとも中途半端な映画に見えてしまうが、溝口について語っている人を見ようとするならば、これは非常に面白い映画と映る。しかも、今となってはその中の多くの人が亡くなってしまった。田中絹代も、浦辺粂子も、乙羽信子も、依田義賢も、宮川一夫も、伊藤大輔も、増村保造も、川口松太郎も今は亡くなってしまっていないのだ。そんな彼らの貴重な証言を記録しているということからすれば、この映画は今こそありがたみのある作品であるといえるのかもしれない。作られた当時よりも今のほうが作品を興味深く見ることが出来るのかもしれない。新藤監督が亡くなってしまったら、その印象はさらに強まるだろう。

 まあそうは言ってもやはり、この映画を見て最も興味が沸くのは溝口健二という人物であり彼の映画である。特に溝口健二という作家が波のある作家で、いわゆるスランプと呼ばれる時期を何度か経験して来たということが定説として言われているところなどを見聞きするのは面白い。そして、その見解も実は時代とともに変化して行くもので、この映画が作られた75年と今とではそれぞれの作品に対する評価も変わってきているに違いないのだ。自分がこれまでに見た溝口作品に対する思いと、この映画で語られているその評価とを比較しながら見れば、そこにはある種の批評空間が広がり、もっと溝口健二の作品を掘り下げてみたくなる。
 とくに興味深いのは撮影と美術である。新藤兼人自身が、『忠臣蔵』に建築担当として参加したと紹介されているように、美術部の出身で、溝口組の美術には並々ならぬ思い入れがあるようで、大道具や小道具といった普段ならまったく目立たない裏方の人たちにまでインタビューをして、溝口の映画がいかに美術によって成り立っていたのかということを証明しようとしているようにも見える。
 たしかに、溝口の代名詞ともいえるワン・シーン、ワン・カットの技法が成立するのは、自在にカメラが動き回り、しかしそれでもリアルさを損なわない舞台装置があってこそである。カメラがセットの中を動き回りながら、様々な角度から撮影しても、不自然さを露呈しないという精緻な舞台作り、これこそが溝口健二の映画の命綱と言ってもいい。とくに、『忠臣蔵』の松の廊下の場面のために作られたセットは本物の松の廊下の図面を下にして原寸大で作ったらしく、そこには膨大な手間と費用がかかっている(しかも実際に使われたのはほんの数分)。
 この映画を見ると、そのような溝口の美術への並々ならぬこだわりを実際の映画を見て感じてみたいと思ってしまう。

 つまりこの映画は、われわれを果てしなく溝口の映画へと誘うのだ。今は失われて見られない初期の数多くの作品も含め、とにかく溝口の映画が見たくなる。溝口健二はとにかく自分の作品のことしか考えていなかった。考えてみれば、そのような人物の伝記映画からは、その作品を観てくれというメッセージしか伝わってこないのは当然のことなのかもしれない。溝口健二という人物について何かを語ろうとするときにはいつでも、彼が映画という芸術にすべてを捧げたという話に行き着いてしまう。われわれが溝口について考えるときにはいつでも、彼が魂を注いだ作品に想いが行ってしまう。
 この映画では終盤で溝口健二の田中絹代への片想いが大きく取り上げられている。新藤兼人をはじめとした男性スタッフたちは溝口健二の田中絹代への想いは本当だったと口をそろえて言うけれど、田中絹代は先生と私はスクリーンの上での夫婦だったと言ってそれを問題にしようとしない。この話題が大きく取り上げられるのは、どちらの言い分も正しく、そしてそのようにどちらの言い分も正しいということが、溝口らしさを象徴しているからなのではないだろうか。田中絹代が言うように、溝口と田中絹代はスクリーンの上での夫婦であり、だから溝口は田中絹代に思いを寄せていた。溝口にとってはスクリーンの上の世界こそがすべてであり、実生活などというものはその残余に過ぎない。だから、スクリーンの上で契りを結んだ女には実生活でも惚れて当たり前なのだ。それが溝口健二という人間であり、それが芸術に魂を捧げるということなのだ。

 結局、新藤兼人がこの映画で観客に見せようとしていたのは、溝口の魂、映画への情熱である。どの映画が面白いかとか、溝口がどんな一生を送ったかとか、そういったことはこの映画を構成する要素に過ぎない。それらの要素の全体によって浮かび上がってくるのは、溝口の映画というものが溝口の魂そのものだということだ。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本60~80年代

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