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父と暮らせば

★★★1/2星

2006/8/18
2004年,日本,99分

監督
黒木和雄
原作
井上ひさし
脚本
黒木和雄
撮影
鈴木達夫
音楽
松村禎三
出演
宮沢りえ
原田芳雄
浅野忠信
preview
 1948年、広島、図書館で司書をする美津江のところには亡くなった父が現れるようになっていた。美津江が父と話すのは図書館にやってくる研究者木下のこと、父は娘の恋を励まそうとするのだが、娘はそれをかたくなに拒もうとする。
  原爆に生き残った人の心の闇を描いた井上ひさし原作による舞台の映画化。黒木和雄監督の“戦争レクイエム三部作”の完結編にもなっている。
review

 まず目に付くのは、この作品が非常に“舞台っぽい”ということだ。私はこれが舞台の映画化ということを知らずに見たが、それでもこの作品からは演劇っぽさを感じる。
  その理由には、もとが演劇だからというだけではなく、非常に重要な意味があると私は思う。この作品がなぜ演劇っぽいかといえば、基本的に、家という固定された舞台装置の中でたった二人の人間が演じる“劇”であるからであり、さらに二人が同時にしゃべることはなく、どちらかがしゃべっているときにもう一人はただ聞き入っているからである。
  そして、特に後者の演出を映画にしても残したところに意味がある。このような演出になるのはおそらく、この父親が美津江の幻覚というか妄想だからであろう。結局この二人はおなじ美津江の心であり、一人の人間の分裂したふたつの人格なのである。だから、そのふたつの人格が同時に別のことをすることはできない。会話をするにも互いが互いのことを了解し、それを確認するために言葉に出しているだけなのだ。だから、二人は言い争ってはいても、順番に秩序正しく会話をする。
  この平衡状態が美津江の正気をかろうじて保っている。彼女の心は彼女が住む家のように壊れかけている。それを彼女は心を分裂させることによってかろうじて支えているのだ。そのことをこの舞台じみた演出は見事に表現している。

 そして、この家が彼女の壊れかけた心の象徴であるということも映画の大きな鍵だ。この映画の大きなテーマは、なぜ美津江が木下を受け入れようとしないのかということだが、それは彼女がこの壊れかけた家=心に閉じこもることで自らを守ってきたことだ。木下という外部に触れることで自分が支え、自分を支えてきた家=心が壊れてしまうことが恐ろしいのである。
  だから、彼女は木下の原爆資料をまず家に入れるということで、その衝撃を緩和しようとする。自分が出て行くのではなく、何かを少しずつ入れてゆくことで壊れかけた家=心を支え続けようとするのだ。

 しかし、本当にそんなことが可能なのだろうかという疑問も頭をよぎる。彼女は原爆の記憶から逃れ続けている。それは当たり前だ。一人の人間を失う悲しみだけでも人は狂いもするのに、自分以外のほとんど全ての人間をしかも悲惨な状況で失ったとき、人間の心はどうなってしまうのか。それは本当に想像を絶することだ。だから、彼女が逃げるのは当たり前なのだ。彼女は逃げて逃げて逃げ続けるに違いないのだ。ほんの3年で現実に向き合うことができるなんて、どんなに心が強い人間か。
  彼女は現実から逃げるためにあらゆることをする。あるときは自分を卑下し、あるときは自分に責任を押し付け、あるときはただ眼を背ける。その彼女が原爆資料と木下を受け入れるということ、それはいったい何を意味しているのか。私にはそれがわからない。

 本当は彼女は逃げ続けなければならないのではないか。この物語を分析して見るとこうだ。美津江は原爆の記憶から逃げ続けている。そこに木下が現れ、彼女は魅かれる。しかし、木下と原爆の記憶とは密接に結びついている。木下を受け入れることは原爆の記憶をも受け入れるということだ。だから彼女はその原爆の記憶=木下の周りをぐるぐると回る。近づいたり遠ざかったりしながらぐるぐるとまわるのだ。
  私はそれでいいのだと思う。そのようにぐるぐる回り続けることこそが彼女が生きるということなのだ。この物語のように安易に中心に近づいてしまうと、どこかで大きなしっぺ返しを食らう。こんなに簡単に原爆の記憶を払拭できるはずはない。「愛」の力は確かに偉大だが、簡単に手に入れてしまった愛からはたやすく力も失われてしまうのではないか。

 この映画が表現する原爆の恐怖はすごい。太陽の2倍の熱を持つというピカの瞬間の光と太陽の光の対比、それは原爆の威力を見事に表現する。そして、原爆の豪華に焼かれる広島の街の映像、もちろんCGだが、その炎の大きさと迫力には身のすくむ恐怖を覚える。
  生々しい原爆の表現が見事なだけに、それと比べて今ひとつ説得力に欠ける登場人物の心の表現が残念だ。被爆者は果たしてこの主人公に共感できるだろうか? 60年たった今でも原爆資料を見れば体を震わせるのではないだろうか。その心を伝えることこそが必要だったのではないか?

Database参照
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国別・年順: 日本90年代以降

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