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バベル

★★★--

2007/8/20
Babel
2006年,アメリカ,143分

監督
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本
ギジェルモ・アリアガ
撮影
ロドリゴ・プリエト
音楽
グスターボ・サンタオラヤ
出演
ブラッド・ピット
ケイト・ブランシェット
ガエル・ガルシア・ベルナル
役所広司
菊地凛子
二階堂智
アドリアナ・バラーザ
ブブケ・アイト・エル・カイド
preview
 モロッコ、山羊飼いのアブドゥラは知り合いから銃を買い、山羊をジャッカルから守るために息子達に持たせる。アメリカ、家政婦のアメリアは旅行に出た主人夫妻の妻が入院するが、翌日の息子の結婚式に入っていいといわれ安心する。日本、バレーボールの試合に出ていた聾唖の高校生チエコはイライラを募らせて退場になり、父親の誘いを断って友達と遊びに行く。モロッコ、アメリカ、日本、そしてメキシコへ。異なる場所で展開されるバラバラの物語が細い糸でつながっていく…
  アドリアナ・バザーラと菊地凛子がアメリカの多くの映画賞にノミネートされて話題を呼んだシリアスドラマ。ゴールデン・グローブ賞では作品賞を獲得、カンヌでも監督賞を受賞した。
review

 かなりよくできた映画だとは思うが、だからといって面白いとは限らない。そんなことを思わせる作品だ。
  この作品の最大のよさは、単に異なる場所で起きる相互に関係のある事件を平衡して描いていくのではなく、その時間をずらして描いている点だろう。モロッコのシーンがあり、日本のシーンがあり、アメリカのシーンがあるわけだが、そのシーンが切り替わるとき、その時間は一致しない。それぞれの場所でのドラマは時間の順番に並んでいるのだけれど、場所が変わるときには時間も前後するのだ。このやり方では、この3つのドラマは決してひとつのドラマに修練することはなく、あくまでも3つの別のドラマであると意識される。時間よりもドラマの展開の仕方を平行させることで、それぞれのドラマの違いを浮き上がらせる効果を狙っているのだろう。
  そしてそれぞれのエピソードのなかなかうまくできている。モロッコでは破綻の危機にある夫婦が妻が撃たれるというこれ以上ないというくらいの大事件に巻き込まれることでその関係を変化させていく。アメリカではメキシコ人の家政婦が雇い主の子供をメキシコでの自分の息子の結婚式に連れて行くことで、その違いを鮮明にさせる。日本では、母を失った聾唖の女子高生と父親の関係を極端な形で描く。
  このドラマのそれぞれから浮かび上がるのは家族の関係、特に“死”を媒介にした家族の関係である。モロッコの夫婦は3人目の子供を生まれてすぐに亡くし、そのことで夫婦関係がギクシャクするが、もうひとつの死の可能性に直面することでそれが変化する。日本の親子は母親の自殺によって娘の精神のバランスが崩れるが、父親もその死をうまく受け入れられないでいる。これらのエピソードは何かを考えさせる喚起力を持っている。
  だが、アメリカ-メキシコのエピソードの限っては、家族の問題よりもアメリカとメキシコという国特にとの関係がその中心にあるように思える。人と人という関係のレベルでの話ではあるが、他の二つのように非常に個人的なレベルで物語が展開されるわけではない。このエピソードによってまず喚起されるのはアメリカ人とメキシコ人の間の不平等さである。
  そして、最終的にそれがこのエピソードの中心であると築くと、この映画全体もそのような不平等を描いたものに見えてくる。アメリカ人夫婦はモロッコでも傍若無人に振舞い、その付けを支払わされるのはメキシコ人とモロッコ人なのだ。そしてそのきっかけを作った日本人は中途半端な宙ぶらりんの状態に置かれる。
  アメリカ人はメキシコでもモロッコでも自分の国の常識を押し付け、貧しい国の人々が貧乏くじを引き、日本人は事なかれ主義を貫く。この物語を整理してみれば、そこにはまったくの不平等が存在することがよくわかる。

 この物語を締めくくるのは二つのせりふだということができるだろう。ひとつはメキシコ人の家政婦アメリアが入国管理官から告げられる「雇い主は訴えないと言っている」という言葉、もう一つは自分の銃が殺人未遂事件で使われたと聞いたワタヤ(役所広司)が言う「私にもお咎めがあるんでしょうか」というようなせりふである。
  ブラッド・ピット演じるリチャードは好き好んでモロッコへ行き、事件に巻き込まれた上に、その土地の医療制度の不備に憤慨し、メキシコ人の家政婦にその付けを払わせた末、彼女が強制送還になろうという時に「訴えない」というのである。
  ワタヤは自分が後先考えずモロッコ人にあげた高性能の猟銃が起こした事件に対して、その結果よりもまず自分がどうなるかを聞くのである。
  このふたりに共通するのは自分という視点にしか立てない発想の貧困であり、それが自分に近い家族との関係にも影を落としているのだということにまったく気づかないという点だ。リチャードはこの事件によって妻の視点には立つことができたのだが、そこで完結してしまいそれ以上の想像力は働かすことができない。ワタヤも娘のことを少し理解はしたが、それ以上は無理なのだ。そして彼らは最後までそれに気づかず、おそらく今後も気づかないだろう。だからこのような不幸は絶えず繰り返され、貧しい人々だけがその付けをはらい続けなくてはならない。その救いのなさがこの映画に救い難い暗さを与えている。それゆえにこの作品を「面白かった」ということがどうしてもできないのだ。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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