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20th TIFF

ある一日

★★.5--

2007/11/17
1 journee
2007年,スイス=フランス,95分

監督
ジャコブ・ベルジェ
脚本
ジャコブ・ベルジェ
ノエミ・コシェール
撮影
ジャン=マルク・ファブル
音楽
シリル・モラン
出演
ブリュノ・トデスキーニ
ナターシャ・レニエ
ノエミ・コシェール
preview
 ラジオのパーソナリティのセルジュは早朝、妻のピエトラを起こさないように出て行くが、直接放送局には行かず、向かいの棟の女性の部屋による。そこから会社へと向かう途中車で何かをはねるが、車から降りてもそれが何かわからない。それが波乱の一日の始まりだった…
  モントリオール国際映画祭で監督賞を受賞したスイスの監督ジャコブ・ベルジェのサスペンスドラマ。
review

 これは“秘密”にまつわる物語である。セルジュは早朝、出勤途中(といっても自分の家の目と鼻の先)に愛人のマチルドの家によって寝起きばなの彼女とセックスをする。これはもちろん妻には秘密の情事である。そしてマチルドの家を出たセルジュはその途中で何かを轢いてしまう。それが何かはわからないが、近くの草むらで何者かが苦しげに呼吸する音を聞いたセルジュはそれが人ではないかと考えて誰にもいえない。この二つの秘密から、セルジュの悪循環が始まる。いつもとは違うセルジュの行動がさらなる秘密を生み、それは彼の周りの人たちを巻き込んでいくのだ。
  そして、この作品を特徴付けるのは、それらの秘密に対して、それを暴く“視線”が存在するということだ。父親が出かけるのを窓から眺めていたヴラドは父が別の家に入っていくのを目にする。ピエトラは夫が自宅で浮気をした後また出かけるところを目にする。それらの視線はその秘密を抱える本人からは隠されている。“秘密”とそれを盗み見てしまった“視線”、それが複雑に絡み合い因果の連鎖を引き起こしていく。そして最後にはそのすべてがジグソーパズルのようにピタリとはまる。すべてがセルジュの浮気とそれが遠因となった交通事故に起因する因果律に収まるのだ。
  だから、この作品にはサスペンス的な推理小説的な面白さもある。基本的には人々の心理を描いたシリアスドラマだが、ばらばらに見える物事がどうつながっているのかを推理するという知的な探検も同時にすることができるわけだ。たとえばセルジュがわざわざ自分の家で浮気をし、ピエトラに見つかってしまうことになるのは、おそらく彼に事故現場から離れていたいという心理が働いたからだろう。そのようにすべての出来事が細い糸でつながっていくのだ。
  バスを追いかける東洋人(おそらく日本人)もかなりの謎だが、ピエトラの乗ったバスに乗せてもらえず、それを必死で追いかけるその男も、最後まで見るとそれがピエトラの白昼夢なのではないかという可能性を感じさせる。もしそうならば、それは夫との関係がうまくいっていないと感じていたピエトラの無意識の願望の表れなのだろう。そのようにして心理的な分析をしながら見るにはこの作品はいい作品だ。

 ただ、この作品が今ひとつしっくり来ないのは、どうもここに描かれている世界に実感が伴わないからだ。その大きな理由のひとつは3人の心理がほとんど描かれていないからだ。もちろん白昼夢のように間接的には描いているけれど、それは回りくどすぎて映画を見ながら実感できるほど生々しくはないのだ。ピエトラはなぜヴラドに自分のことを「変?」などと聞くのか、セルジュはなぜ浮気をするのか、決してうまくいっていないわけでもなさそうな過程になぜこんなことが起きるのか? ヴラドが奇妙な行動をとるのはなぜか?
  一つ一つの行動の心理的な遠因は描かれているが、すべての出来事の根本となる心理的要素が描かれていないことでこの映画はどこか空虚なものに感じられる。ひとつの事件を契機として様々なことが起きるが、それはただ起きるだけなのだ。私達はその事件に翻弄される3人を眺めるだけで、それが持つ意味を、それが彼らに何をもたらすかを感じることができない。そこには映画にリアリティを加える何かが決定的に欠けているのだ。
  だから私にはこの映画は運命をもてあそぶインテリのゲームにしか見えない。確かに知的な刺激はある。しかし、それが何に結びつくのか、その部分が欠けているのだ。

Database参照
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国別・年順: スイス

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