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ベストセラー

ウディ・アレンの重罪と軽罪

★★★★-

2008/3/6
Crimes and Misdemeanors
1989年,アメリカ,103分

監督
ウディ・アレン
脚本
ウディ・アレン
撮影
スヴェン・ニクヴィスト
出演
ウディ・アレン
マーティン・ランドー
ミア・ファロー
アラン・アルダ
キャロライン・アーロン
アンジェリカ・ヒューストン
preview
 パーティーでスピーチをすることになった眼科医のローゼンタールは浮気相手のことが気になっていた。彼女は妻に宛てて告白の手紙を書いていたのだ。一方売れない映画監督のジューダは売れっ子プロデューサである妻の兄のパーティにいやいや出席、そこで彼の密着ドキュメンタリーの監督をするよう説得されるが、彼はその仕事を軽蔑していた。
  ウディ・アレンが日常に潜むさまざまな“罪”を描いたブラック・コメディ。彼らしい皮肉が洗練された形で表現された作品。彼の傑作のひとつ。
review

 映画の序盤の展開が非常にうまい。金持ちそうな老若男女が集まったパーティーのシーンから始まり、その主役であるローゼンタールの回想シーンに。そこで彼の悩みが明らかにされ、しかしそれでもうまくスピーチをさせて、彼のステータスと体面というものを重視する性格をさらりと表現する。そして場面は変わってウディ・アレンが登場。映画館に少女とふたりで座って、今回もロリコン精神むき出しかと思いきやこれが姪。続いて妻との会話で彼が売れない映画家督で、商業主義の妻の兄を嫌っていることを示すことで、彼の少年っぽいが理屈っぽい性格を表現する。
  この一連のシークエンスはあまり言葉に頼らずに舞台設定を見事に説明している。ウディ・アレンの映画というと小難しい言葉が並んだり、詩による比喩が持ち出されたりと言葉に拘泥するイメージが強いが、しかしさすがは一流の映画作家であるだけに、まずは映像ありきなのだということがよくわかる。
  そしてその姿勢は作品に一貫して見られる。もちろん詩が持ち出されたり、小難しい言葉が使われたり、わかりにくいジョークがあったりはするけれど、ベースラインでは映像が雄弁に語り、フレーミングや表情で多くのことが表現される。
  物語のほうはといえば、ローゼンタールの物語とジューダの物語が平衡して描かれる。基本的にはローゼンタールの物語が“重罪”を、ジューダの物語が“軽罪”を描いているということになるわけだが、そのふたりが最後に出会うとき浮かぶのは最高にシニカルでブラックな片頬がぐにっと持ち上がるような笑いである。
  ユダヤ教をかなり前面に打ち出して、宗教的な罪と赦しを明示的に描くことでテーマが重くなりがちだが、それをユーモアに昇華することで重いテーマを軽く捉えることができるようになっている。とくにローゼンタールが生家を訪れて昔の食事の風景を思い起こすところなどは、宗教的な罪と赦しというテーマだからといって必ずしも深刻にならなくてもいいのだということを見事に表現していた。

 私が今まで見たウディ・アレンの作品の中でも屈指の面白さだと思うが、それはおそらくこの作品が物語性を強く押し出し、私が何よりも物語が好きだからだろう。
  この作品でも他の作品でも彼の人間に対する姿勢、人間の描き方は一貫していて、それはどこか落ち着かないというか散漫なところがあるけれど、この作品は物語によってそれをうまくまとめていて、それが面白いのだろう。登場するのは相変わらずどうしようもない大人たちばかりだけれど、人間なんて所詮そんなものなのだ。そのことは私も同意するけれど、やはりどうしようもない人たちが登場してどうしようもないことばかりをする散漫な話というのは退屈だ。それを物語でまとめれば、そのどうしようもない人たちが生きてくる。
  この物語が結局何か教訓的なことを言っていたりするかといえばそんなことは無いのだけれど、なんだか妙に納得できる話ではあり、人間や人生や社会なんてこんなものだと思える。ジューダが撮りためたという設定の哲学者ルイス・レビーなる人物の語りも非常に効果的だ。彼の言葉は印象に残り、説得力もあるが、最後には彼もブラック・ジョークのネタにされてしまう。
  クラシックなハリウッド映画がいろいろ登場するのもマニアには楽しい。私が気づいたところのはヒッチコックの『スミス夫妻』くらいだったが、ウディ・アレンの映画への愛がここにも表れていて、意図的に映画的な作品にしたのではないかという気もしてくる。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ60~80年代

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